人生の最後に、静かに意味があったと思えたらいい
- raytsunoda
- 3月1日
- 読了時間: 2分
— 何もなくなったあとに、考え抜いた末の形 —
三年前、私は意味を失いました。
これまでやってきたことは何だったのか。
家族を犠牲にしてまでやろうとしたことは、何だったのか。
自分の人生には、本当に意味があったのか。
その問いだけが残りました。
屈辱も、忍耐も、喪失も、無力感もありました。
でも一番重かったのは、「意味が消えた」という感覚でした。
組織もない。
資金もない。
肩書きもない。
それでも、周りにはメンタルヘルスで苦しんでいる人がいる。
家族の中にもいる。
何か役に立ちたいと思いながら、
何もできていない自分がいました。
大きなことはできない。
取り戻す力もない。
では、何ができるのか。
考え抜いた末に、残ったのは
自分が続けてきた小さな習慣でした。
眠ること。
歩くこと。
朝、ほんの少し記録すること。
崩れきらない形を整えること。
劇的な解決ではありません。
誰かを救える保証もありません。
でも少なくとも、
自分は崩れきらずにいられました。
それが、H3の出発点です。
大きな意味を取り戻すことはできないかもしれません。
でも、残された時間の中で、静かに続けていくことはできる。
そして人生の最後に、
「意味があった」と自分で思えたらいい。
その願いだけを持って、
この活動を続けています。
H3 (Health · Hope · Happiness)




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