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無理をしないことは、怠けじゃない

  • raytsunoda
  • 1月5日
  • 読了時間: 2分

無理をしない、という言葉に、

どこか後ろめたさを感じることがあります。


本当は疲れているのに、

「もう少し頑張れるはずだ」と思ってしまったり、

休みたい気持ちに、理由をつけようとしたり。


無理をしないことが、

そのまま怠けているように見えてしまう感覚は、

きっと多くの人の中に、うっすらとあるのだと思います。


「続けている人=頑張っている人」

「休まない人=ちゃんとしている人」


そんな空気の中で生きていると、

立ち止まることや、速度を落とすことに、

どこか言い訳が必要な気がしてきます。


でも、心や体のことを考えると、

無理を続けることが、

本当に自分の望む形なのか、

分からなくなってきました。


無理をすると、

一時的には前に進めているように見えても、

その分、どこかで反動が来ます。


疲れが溜まったり、

気力が急に落ちたり、

「もう何もしたくない」という状態になってしまったり。


そうなると、

本当は大切にしたかったことまで、

まとめて手放してしまうことがあります。


無理をしない、という選択は、

止まることでも、諦めることでもなくて、

距離を測り直すことなのだと思います。


今の自分が、

どれくらいの速度なら歩けるのか。

どこまでなら、無理なく手を伸ばせるのか。


それを確かめながら進むことは、

決して怠けではありません。


むしろ、

長く続けたいものがある人ほど、

無理をしない感覚が必要なのだと思います。


「今日はここまででいい」

「今日はやらなくていい」

そう言えることは、

自分を甘やかしているのではなく、

続けるための調整です。


無理をしない日があっても、

続けているという事実は、消えません。


休んだ日も、

立ち止まった時間も、

すべて含めて、その人の歩みです。


無理をしないという選択も、

続けるための、大切な一部なのだと思っています。

 
 
 

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