幸せを感じられなかった理由を、ほどいてみる
- raytsunoda
- 1月21日
- 読了時間: 3分
これまでの人生で、
客観的に見れば「恵まれていた」と言える時期も、
きっとあったのだと思います。
それでも私は、
「幸せだ」と感じた記憶を、ほとんど持っていません。
なぜ、幸せを感じられなかったのか。
そして、なぜ今になって
ごく小さな「幸せ感」を感じられるようになったのか。
この章では、その理由を、
自分なりに静かにほどいてみたいと思います。
仕事人生に関わるものを、ほぼすべて失ったあと、
はじめて分かったことがあります。
それまで大事だと思っていたものを手放して初めて、
当たり前だと思っていたものが、
決して当たり前ではなく、
どれほどありがたく、
大切なものだったかに気づいた、ということです。
健康であること。
歩けること。
今日一日を、無事に終えられること。
それらは、以前からそこにあったはずなのに、
私はほとんど意識することもなく、
感謝することもありませんでした。
振り返ると、
それまでの私は、
ずっと「先」を見て生きていたように思います。
もっと良くならなければ。
もっと成果を出さなければ。
もっと価値のある存在でなければ。
今がどうか、ではなく、
「まだ足りない」という感覚を基準に、
自分を見続けていたのかもしれません。
その状態では、
たとえ恵まれている瞬間があったとしても、
それを感じ取る余白は、ほとんどなかったのだと思います。
すべてを失い、
立ち止まらざるを得なくなった時間の中で、
ようやく、視線が「今」に戻ってきました。
すると不思議なことに、
「ありがたい」と感じられる瞬間が、
少しずつ増えていきました。
特別な出来事があったわけではありません。
今日は無理をしなくていいと思えたこと。
外の空気が気持ちよかったこと。
自分の言葉で、正直な気持ちを書けたこと。
そうした、とても小さな出来事に対して、
自然に「ありがたい」と感じられるようになったのです。
そして気づきました。
「幸せ感」は、
何かを手に入れた結果として生まれるものではなく、
今あるものに気づいたときに、
静かに立ち上がってくる感覚なのだ、と。
幸せを感じられなかった理由は、
幸せがなかったからではなく、
感じる余裕がなかったからだったのかもしれません。
「幸せ感ナビ」で大切にしている
「3つの感謝」という習慣も、
この実感が、そのまま形になったものです。
感謝を「増やす」ためではなく、
「思い出す」ための習慣。
自然体の自分の感覚に戻るための、
ほんの小さな入口として。
幸せを感じられなかった時間も、
無駄だったとは思っていません。
あの時間があったからこそ、
今、こうして
小さな「幸せ感」に気づけるようになった。
そう思えるようになった今、
ようやく、自分の人生を
自分の足で生きている感覚がしています。




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