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続けられなかった日も、途中に含めて

  • raytsunoda
  • 1月5日
  • 読了時間: 2分

続けているつもりでも、

どうしても、続けられなかった日があります。


やろうと思っていたのに、できなかった日。

気づいたら、何日も空いてしまっていた日。

理由をはっきり説明できないまま、

時間だけが過ぎてしまった日。


そういう日は、

「もうだめかもしれない」と

思ってしまうことがあります。


一度止まってしまうと、

再開することが、

とても遠く感じられることがあります。


最初からやり直さなければいけない気がしたり、

ここまで積み上げてきたものが、

無意味になってしまったように感じたり。


でも、実際には、

止まったことで、そ

れまでの時間が消えるわけではありません。


続けられなかった日があったとしても、

その前に過ごしてきた日々は、

ちゃんとそこに残っています。


見えなくなっているだけで、

なくなったわけではない。


そう考えられるようになるまで、

少し時間がかかりました。


続けられなかった日を、

「失敗」や「中断」として扱うと、

戻る場所がなくなってしまいます。


でも、

「今日はここまでだった日」

「一度、離れた日」


そういう言い方をすると、

戻る余地が、まだ残っている気がしました。


再開するときに、

以前と同じようにできなくてもいい。


少し短くても、

形が違っていても、

「戻ってきた」という事実だけで、

十分なのだと思います。


続けられなかった日も、

途中に含めて考える。


止まった時間も含めて、

ひとつの流れとして受け取る。


そうしてみると、

続けることは、

思っていたよりも、

ずっと柔らかいものになります。


続けられなかった日があっても、

それで終わりになるわけではありません。


ただ、

少し離れた場所から、

また歩き出すだけ。


いまは、

そんなふうに考えています。

 
 
 

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